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Vol.848 ビタミンの父!「高木 兼寛」
最近はビタミン剤なんかがよく薬局で売られていますよね。健康のために毎日ビタミン剤を摂っているなんて方も多いんじゃないでしょうか。
実は、宮崎にはビタミンの父と呼ばれる人がいます。それは、日本の海軍軍人であり、医学者でもあった高木兼寛という人です。
彼は、当時軍隊内部で流行していた脚気というビタミンの欠乏によって起こる病気の撲滅に尽力し、兵食改革を行い脚気の解決に貢献しました。
ただ、実は兼寛は脚気がビタミン不足よるものだと気づいていたわけではないんです。当時はビタミン自体がまだ発見されていませんでした。そこで兼寛は、脚気は「タンパク質の不足」によっておこるものだと考え、兵食の白米のご飯に麦を半分ずつ混ぜ、洋食を取り入れることで脚気予防を行ったのでした。
しかし、偶然にもそれはビタミンを多く含む食事であったために脚気にかかる軍人は激減したのでした。 そして、それがのちにビタミンの発見につながることになります。
当時は、脚気はウィルスによって起こるものだと考えられていました。そんな中、食事内容に注目した兼寛の医学者としての目はすごいですね!
その後、兼寛は医者や看護師の教育に力を入れ、成医会講習所(現:東京慈恵会医科大学)、有志共立東京病院(現:東京慈恵会医科大学付属病院)、有志共立東京病院看護婦教育所(現:慈恵看護専門学校)の設立に関わりました。
「病気を診ずして病人を診よ」
これは、兼寛が残した言葉だそうです。どこまでも患者のことを考えた医療を目指していたんですね。兼寛の医療への情熱が伝わってきますね!
兼寛の地元高岡の穆園ひろばには兼寛の銅像が建てられ、現在の医療の発展を今も見つめています。