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Vol.833 「宮崎の父」川越進に学ぶ不屈の心
皆さんは、宮崎県が昔一度無くなっているということを知っていましたか?
1873年(明治6年)にそれまでの美々津県と都城県の大部分が合併し、誕生した宮崎県ですが、そのわずか3年後、明治9年には鹿児島県に統合されて、一度消滅しているのです。
しかし、県庁のある鹿児島から遠く離れた宮崎への対応はあまり良いものではなかったため、宮崎県の再配置を願う声が次第に高まってきました。
その宮崎県再置運動の中心となって、宮崎県再配置のために尽力した人物こそが、「川越進」その人なのです。
明治13年、川越進は宮崎県再配置に賛同する有志たちの集まりである「日州親睦会」を設立し、代表として鹿児島県令に分県請願書を提出するも、実現困難として門前払いされます。
明治15年には、県会に日向国分県建議案を提出し、一度は可決されますが、翌日の再議で廃案にされます。
しかし、翌明治16年、川越が県会議長に選出されると、改めて提出した分県建議案が可決成立しました。
そして、同年5月9日に宮崎県再配置の布告がなされ、7月1日には宮崎県庁が開庁し、ついに、川越は県の再置を実現してみせたのです。
宮崎県再配置に尽力した川越ですが、その後も、私財を投じて宮崎の発展のために尽くしたそうです。
この略歴からも分かるとおり、川越進は決して、順調に宮崎県再置を成し遂げたわけではありません。
何度躓いても挫けることなく前進し続けたからこそ、大きな成果を残すことができたのだと思います。
今宮崎は口蹄疫という大きな問題にぶつかっていますが、「宮崎の父」川越進のように不屈の心で解決に向けて前進していきましょう。