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Vol.823 日本初の民間パイロット「後藤勇吉」
日本初の民間パイロットは実は宮崎県出身だということをご存知ですか?
後藤勇吉は日本で初めて一等操縦士、一等飛行士を習得し、さらには日本初の日本一周など数々の「日本初」を成し遂げた航空界の先駆者です!
勇吉は、子供の頃から機械が好きで蒸気機関付きの精米機を作ったり、自転車を改造して水上自転車を作り周囲を驚かせるほどでした。そして、国内での飛行機熱の高まりとともに勇吉は飛行機に興味ち、夢中になっていきました。
中学を卒業後、父の勧めでひとまず東京の自動車工場に就職したましたが、翌年には退社。民間初期の飛行家、白土栄之助の助手となり水上飛行機「巌号」を制作。
21歳でふるさと延岡に帰った勇吉は、独力で飛行訓練を開始。3ヶ月後直線飛行が出来るようになると帝国飛行協会の三期操縦生試験を受験し、300人の中からわずか3人という狭き門を突破し夢への第一歩を踏み出しました。
ちなみに、白土から巌号を借り受けるとき、レンタル料の400円の援助を父親から断られた勇吉は実家に飛行機を着払いで送り届けるというなんとも大胆な方法で巌号を借り受けたそうです。飛行機のためならなんでもしてしまう勇吉の根性はすごいですね!
帝国飛行協会を卒業した勇吉は、一等操縦士、一等飛行士を取得し、高度5000メートル突破や日本初の旅客運送飛行を成功させるなど飛行機の可能性に挑んでいきました。郷土の発展のためにと勇吉が飛行機で運んだ日向かぼちゃは日本で初めて空を飛んだ野菜となり、のちの延岡の特産品「空飛ぶ新たまねぎ」の命名の元となっているそうです。
そんな勇吉も昭和3年、帝国飛行協会の企画した太平洋横断飛行の訓練中、墜落事故で33歳という短い人生を終えました。
まさに飛行機のように人生を駆け抜けていった勇吉にはロマンを感じますね!
延岡市の妙田緑地公園には後藤勇吉の銅像が立っています。実は私も延岡出身なので何回か見たことがあります。まさかそんな偉大な人だとは!意外と身近にもすごい偉人がいるものですね!