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Vol.752 木村拓也コーチ追悼試合
4月7日にくも膜下出血のため37歳で急逝したプロ野球巨人コーチ、木村拓也さんをしのぶ追悼試合が24日に行われました。カードは巨人−広島。両チーム共に木村コーチが長く滞在し、活躍をしてきたチームとして、「勝利」という2文字を捧げたい気持ちでいっぱいだったと思います。
始球式では木村コーチの長男恒希(こうき)君(10)が、木村コーチの現役時代に付けていた背番号「0」の巨人のユニホーム姿で現れると、ノーバウンドで捕手・阿部のミットに投げ込み、場内からはひときわ大きな拍手が送られました。将来お父さんのような選手を目指してプロ入りするのか、期待されていくのでしょうか。
試合は7回まで混戦状態、1点を取れば追い付き、逆転すれば追い付きというシーソーゲーム。お互いの勝ちたいという気持ちが試合の流れから伝わってくるようでした。
流れが変わったのは8回。1アウト満塁で代打「谷」。高めの直球をフルスイングすると、打球は左中間スタンドに吸い込まれました。これが逆転の決勝満塁ホームランとなりました。
実はこの谷選手、木村コーチとは同級で、ともに他球団からの移籍組ということで、プライベートでも親交が深く、お互い助け合い、支え合って来たそうなのです。ヒーローインタビューでは、「こんなところで打てたのはタクのおかげです。」と涙をうかべて答えていました。そのニュースを見た自分も、自分に当てはめてしまい、うるっときてしまいました。
ホームランを打ったバットとウイニングボールは遺族に渡されました。
また広島は野手を全員使い切り、ベンチには野手は1人も残っていなかったそうです。まさに総力戦で、木村コーチの追悼試合を勝利で飾ろうという執念がこのような形になったのだと思います。試合には勝てませんでしたが、気持ちは届いたハズです。どちらのチームにも勝利をあげれたらいいのですが、勝利という「結果」よりも、「想い」が大切だと思います。
宮崎の方なら知っていて当然ですが、木村コーチは宮崎県宮崎市の出身です。選手としては人生を全うしましたが、コーチというまだまだ先の長い新しい人生を送ろうという矢先の事件でした。宮崎の“英雄”が若くして亡くなってしまうのはとても辛く悲しいです。
野球に関してとても熱心で、チームワークを重んじ、着実に仕事をこなす。野球以外でも人付き合いが良く、慕われていないと多くの人に見送られることもなく、これだけメディアにも取り上げられていないでしょう。
亡くなってから、さらに木村コーチの偉大さが感じ取れます。
木村コーチには、家族から見守られてもらっていた分、今度は家族みんなを暖かく見守っていてほしいです。