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Vol.554 平和を願う。
1)1945年(昭和20年)8月6日 午前8時15分
2)1945年(昭和20年)8月9日 午前11時02分
3)1945年(昭和20年)8月15日 正午
答えは以下のとおりです。
1)広島県広島市に対して、原子爆弾が投下された日
2)長崎県長崎市に対して、原子爆弾が投下された日
3)終戦の日
私は戦争を知らない世代です。
しかし、戦争を実際経験し、家族や多くの友人を亡くした祖父母の話を幼い頃から聞いていました。その中で、通っていた専門学校の先生から聞いた話を思い出し、改めて戦争について調べてみました。
原爆投下には、全部で3つの目標地がありました。
○第一目標・・・広島県広島市
○第二目標が福岡県小倉市(現在の北九州市)
○第三目標が長崎県長崎市
アメリカ軍は天候などを調査した後、まず8月6日に広島市に原爆を投下しました。
そして、8月9日、第二目標の福岡県小倉市(現:北九州市)へ攻撃命令がくだされましたが、その日は天候不順のため上空は厚い雲に覆われ回復の見込みがないと判断、第三目標の長崎市へと目標が変更されました。
この時、長崎市の上空も雲に覆われていましたが、本来の投下予定地点より北寄りの地点で、雲の切れ間から一瞬だけ眼下に広がる長崎市街が覗き、そこへ原爆が投下されました。
この話をした先生は当時小学生だったそうですが、まさに原爆投下を免れた小倉市に住んでおり、この時雲に覆われた上空を戦闘機が通過する音と影を見たそうです・・・。
そして1945年8月15日「終戦の日」。
正午から、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」を昭和天皇が朗読したレコードがラジオ放送され(玉音放送)、戦争の終結を国民に告げられました。
「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」
訳:私は米英支ソ4国へ共同宣言を受け入れると帝国政府に通告させた
これは「日本政府はポツダム宣言を受諾し降伏する」ことを表明する最も重要な主題でした。
しかし、それよりも多くの日本国民にとっては
「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」
という言葉が、戦時中の困苦と今後への不安を喚起させ、とくに印象づけられた有名な言葉となりました。
現在、戦争経験者は高齢化し、戦争自体を知らない日本人が増え、風化しつつあります。
しかし今もなお、原爆の後遺症に苦しむ人はいます。そして、戦争の経験者達が語り部として、戦争の恐ろしさや悲しさを伝えようと活動されています。
日本人として、唯一の被爆国として、歴史はしっかりと知っておきたいと改めて思いました。